Naomi Letter No.173 (2023年10月)

Ciao a tutti!

皆様いかがお過ごしですか?
つい先日まで日中30度!と汗ばむ日々だったのが、急に朝晩の気温も下がりきる洋服に迷っています。加えて、10月最終日曜日の29日から冬時間に突入したので、日が暮れる時間も早まり、これから冬に向かうのを体感している今日この頃です。

実は、先月から週2〜3回、私のクラス地区内のご主人95歳&奥様88歳というご夫妻のお宅に
通っています。
9月の末に親しくしているママ友の一人から、彼女のご近所で幼馴染の一人が、仕事で日中いない間にご両親と一緒に過ごしつつ、その日によって必要な家事の手伝いをしてくれる人を探していると話を持ちかけられました。

”誰か信用できる相応しい人に心当たりないかと聞かれて、ナオミしか思い浮かばなかったのよ! でもナオミが引き受けてくれるかどうかを確認してからと思って、先方にはまだ伝えていないけれどどう?”

このママ友は日本での”時間にルーズなイタリア人”という認識を覆す一人で、信頼のおける素敵な友人なので、彼女からそうやって紹介してもらえるというのは素直に嬉しく思いました。
とはいえ実際のところ周りは仕事をしている人がほとんどなので、その役目を引き受けられそうな人を見つけるのが難しい現状・・といいうのはこの際横に置いておきましょう(笑)。 そんな経緯で、次男を高校に送り届けてから午前中2〜3時間を、そのお宅に伺うようになってはや1ヶ月を迎えます。

95歳のパパさんは耳が遠いものの、とてもお元気で、私が到着すると外に出て畑仕事や庭の手入れをするのが日課です。その間、私はママさんと会話をしながらお掃除などのお手伝いをします。ママさんのお話を聞くたびに、イタリアも、日本もかって培われていたものは共通しているのだなとつくづく感じます。
今回その一部を是非皆様と共有したいと思いました。

イタリア人のほとんどはキリスト教カトリック信者であり、日本の学校の教科としてある道徳は、イタリアでは宗教の授業にあたると思います。
現在は国教ではないものの、イタリアでの日常生活もほぼキリスト教カトリックの教えの上に 成り立っていると言って過言ではありません。

ママさんがよく若くして亡くなったお母様の話をしてくださるのですね。
本当に素晴らしい方で、57歳で亡くなった時にその告別式には多くの方がお別れに参列され感謝の言葉を遺族に伝えられたそうです。
『母は敬虔な信者だったから』と言われるのですが、本当に愛のある宗教心は何教であっても同じなのだと実感します。

例えば、お母様の教えの中から
『どんなことがあっても、母親が太陽のように明るくいれば家族は円満』
『あるもの、ある状況ありがたく思う事。全ては主が与えてくれたものなのだから』
『隣人はみんな家族同様。みんなで分かち合うことが大切』
というお話をしてくださいます。
この様に誰に対しても愛を持って接していた方だったので、多くの方から慕われたのですね。

そうして、これらの言葉はイタリアがたまたまキリスト教カトリックであるから主の教えと言われますが日本でも同じですよね。
『妻たるもの、ベッドを整えたり寝室の掃除は自分ですること』や、
『夫が何を言おうとも口答えせずにはいはいと流す・・』というのも今でこそ男女平等やら夫婦同等といった世の中ではありますが、かっての日本に共通する気がします。88歳になられても、もう何十年も前に他界されたお母様の教えがずっと染み付いていられるということに母親の偉大さも感じます。ご本人も『最近のことは色々忘れてもこういうことは忘れないものね』と。

子供の頃から病弱だったママさんは、数年前に心臓の手術もされて現在何種類もの薬を服用し、常に頭痛に悩まされています。 ご本人は慣れているとおっしゃっていて、
『でもね、夫はちょっと切り傷作っただけでそれそれは大騒ぎ! 母がいつも言っていたわ、女性だけが出産を体験するのには理由がある、神様はよくわかっていたのね。』
そう言っては『確かに確かに』と二人で笑っています。

世の中では争いが絶えません。そしてそれはまるで違う宗教観での争いの様に言われて正当化されたりもするのですが、どの宗教であれ自分たちと違う宗教を信仰する人たちを傷つけてもよいという神様は存在するわけがないと思うのです。 それは宗教を利用しているだけ。もしくは最初から宗教とは別物か。どちらにしても、犠牲になるのは常に罪のない一般庶民です。
ママさんの話を聞きながら、一人一人が自分を尊重し相手も尊重することさえできれば、世の中から争いなどなくなるだろうにと思うのでした。

寒い季節に向かいます。
そして2023年も残すところ2ヶ月弱です。
皆様何卒ご自愛ください。

Ciao alla prossima!
イタリアアッシジから奈緒美でした。