Naomi letter No165 (2023年2月)
Ciao a tutti!
皆様いかがおすごしですか?
『一月往ぬるニ月逃げる三月去る』という諺がありますが、本当に早いです(汗)。
もっと早くにお便りしたかったのですが気づいたら月末になっていました!
これをお届けできるのはすでに月が代わって3月かと思いますが、2月のお便りとして送らせていただきます。
2月6日満月の日に発生したトルコ・シリアでの大地震では、5万人を超える犠牲者を出す大惨事となりました。幸い助かった方にしても一瞬にして人生が狂わされてしまったわけですから、改めて災害の恐ろしさを感じます。 心からのお悔やみと祈りを捧げます。
2月月末にはイタリアでもショッキングなニュースが流れました。 トルコのイズミールから4日間かけて海を渡ってきていたイラク人、イラン人、アフガニスタン人、シリア人を乗せたボートが、イオニア海クロトーネ沖合100mほどのところまで来たところでおそらく岩のようなものに衝突し大破したのです。乗船していた難民たちは全員海に放り出されました。泳げる人はごく少ない上に波が荒く、60人位以上の人が命を落としたと報道されています。中にはまだ1歳に満たない乳児もいて、遺体が収容されていいる体育館の中で最も小さな棺の中に安置されています。 あと少しで陸に到達できたのにその直前で起きた悲劇。 もともとボートで海を渡らなければならない選択をするしかないような状況からして悲劇なのですが、本当に悲しいです。なぜ世の中は暗くなるようなニュースばかりなのでしょう。
と、暗い方へと引っ張られるとどんどんネガティブになりそうなので、ここでは明るく平穏を保たなければいけませんね。
ファブロの街の一角 ペルージャスタジアム 試合前の厳重警備
個人的なことなのですが、この2月の初旬には私はイタリア生活30年を迎えました。
30年前の1993年1月31日にイタリアでの短期入学を目的として日本を出発し、最初の1週間は友人とロンドン滞在を楽しみました。そのあと別れて彼女は日本へ帰国し私はローマ空港を目指したのです。それが2月6日でした。
今改めて考えると、若さって武器です!
旅行会社で勤務していたので添乗員としてイタリアに来る機会もあり、全く未知の土地ではなかったとはいえ、単身で生活しようと外国へ出発するなんて我ながらよくそんな勇気があったものだと感心します(笑)。
当時は今のようなスマホどころか携帯電話すらなく、実家への電話はコレクトコールで時計とにらめっこしながら最短で無事を伝えるのがやっとでした。 時々1日遅れで届き町中のスタンドで売られている日本の新聞を、高いといいながら購入するのが唯一日本のニュースを知る方法でした。
大きなトラブルもなく(あえて言うなら背骨腰骨を骨折して入院した)こうして30年を迎えられたというのは本当にありがたい事で、その時その時支えてくださった全ての方々に感謝の思いでいっぱいです。実際に留学生が事件に巻き込まれるニュースを耳にすることもありましたから。
イタリア内で引越しを何度かしたものの、回り回ってまた当時通っていた外国人大学のあるペルージャの近くで暮らしているのだから、よっぽどご縁があったのかもしれません。
去る2月18日の土曜日に、ペルージャのスタジアムでサッカーセリエBの地元ペルージャ対テルナーナ(テルニ)のダービー戦がありました。ウンブリア州内のこの2つの町の 敵対意識の強さはほぼ伝統的とも言えるほどです。その試合を次男はお友達とそのママさんとで観戦しに行きました。3−0でペルージャが勝利しご機嫌で帰ってきた次男に対し、テルニ出身の父親は面白くない様子でしたが(笑)。 スタジアムでのペルージャサポーターの中に、なんと次男はNAKATAと中田選手!今でもユニホームを着ているファンがいるとは流石です! 同じく日本人として嬉しく思った次第でした。余談ですが、中田選手は私がペルージャからローマに引っ越した後でペルージャ所属となり、私がローマからフィレンツェ郊外に引っ越した後にACローマに移籍し、さらにその後フィオレンティーナに・・と、私を追いかけるかの様に(のはずありませんが)イタリアのチームで活躍したのでありました。
では3月のイタリア便りでまたお会いしましょう!
皆様くれぐれもご自愛くださいませ。
Ciao alla prossima!
イタリアのアッシジから奈緒美でした!